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「紅葉狩り」を再考する

日本に来てから、芸大の教授と一学期勉強しました。伝統的で口伝的な能楽のクラスの学風と能楽の手解きを紹介されたあとで、私の最初の能を本格的に学びはじめました。秋ですから、これは「紅葉狩り」という有名な劇です。

一つの能の謡をすべて学ぶことで、能の主な声楽や作曲のテクニックをじかに体験することができました。しかし、学ぶことがまだたくさんあります。今、新学期がコロナウイルスの影響により延期されている間、私はこの能楽の勉強を続けています。

この研究の一環として、私は「紅葉狩り」に基づいた新しい作品を作ります。このために、話の意味や象徴などをわかることが本当に大切です。これができたら、どうやって特定な場面で色々な技術を使うか理解できる様になります。作曲は研究に役立ち、研究は作曲に役立ちます。

背景

「紅葉狩り」は16世紀に観世信光によって書かれた能楽です。信光は一番有名な劇作家の世阿弥元清の孫息子で、黒澤明の有名な映画の基になった劇「羅生門」を書いたことで最もよく知られています。「紅葉狩り」は大切な文化財です。 そして歌舞伎のバージョンの場の1899年に作れた録画は日本の最も古い映画です。

「紅葉狩り」は能楽の第五のカテゴリーにあります。鬼の劇ですけど、構造などで他のカテゴリーの劇の特徴があります。構造などの他の変わった特徴もあります。 場面は秋で戸隠山の紅葉の木の下です。きれいな赤い葉の描写がたくさんあります。

この話はシテの上臈と友達の酒宴で始まります。ワキの平維茂という強者は彼らに会います。当初、彼はこの酒宴に参加することを躊躇っていましたが、上臈にお酒を飲むことを説得されます。維茂はお酒を飲みすぎたので、上臈の優雅な舞を見ている間に眠りに落ちます。上臈の舞は一時的に攻撃的になって、彼女は消えます。

維茂が眠っている時、武内の神は彼の夢に現れます。武内の神は維茂に、上臈が本当は偽装した鬼だと教えあげて、神剣をあげます。この前場と後場の間は「アイ」と呼ばれます。維茂は起きて、鬼の恐ろしい真の姿を見ます。両者は闘い合い、もちろん、維茂が神剣で山の鬼を殺します。

宝生会の「紅葉狩り」の謡本から図示

現代の道徳

ほとんどの能は道徳劇です。多くの場合、仏教の教えがあります。「紅葉狩り」の教えは主に誘惑についてです。維茂は飲みすぎて、鬼の犠牲者にほぼなりました。しかし、この劇はまた、優雅さと地位の欺瞞についてです。上臈はきれいで優雅ですけど、偽装の下の本来の姿は鬼です。それで、紅葉の葉が象徴であり、劇で大切なのがわかります。この葉もきれいで優雅ですけど、これは実際に腐敗していて、まもなく消えます。

この新しい作品のために、私は劇のテキストから色々な抜粋を選びました。話の短いバージョンを作るために、一番大切な問答と歌から抜粋を選びました。その上、いくつかのきれいで詩的な一節や紅葉の象徴の論及を含みます。私はこの抜粋とエレクトロニック音楽で新しい謡のバージョンを作る予定です。このエレクトロニック音楽の部分には、私は劇の意味(欺瞞や非難や救済など)を表現したいです。

鬼の救済

上記の構造は非常に珍しいです。大抵は、最初にワキが出てきて、シテに会います。それから、前場の間シテの話を知ります。シテは後場の間真の姿で戻って来る時、ワキは仏教の教えでシテを救います。しかし、「紅葉狩り」では、ワキはアイだけで真の姿を見つけます。

この劇にはもう一つ変なことがあります。シテの鬼は救われません、救済なしで維茂に殺されます。誘惑に負けたのは維茂でしたが、彼は武内の神に手伝われて、救われました。鬼女は非難されました。また汚名返上されないで、維茂の強者としての力を証明するために殺されました。この結びは間違いなく古風で、「男性を誘惑する女性」という旧来の態度を示しています。

日本の作品の維茂と山の鬼の画像

この新しい作品のために、私はこの結びを刷新したいです。しかし、劇に新しいテキストを追加せずにこれを実現する方法を見つけたいです。多分、結びを曖昧にする方法があります。劇の終わり頃、維茂が鬼女との最後の戦いに近づいている時、何度も繰り返される句があります。この句は場の緊張感と対照的であるので、効果的です。鬼女が火を噴き、維茂が神剣を抜く瞬間はサスペンスに満ちています。 これは結びとして面白い句かも知れません。

「維茂は、少しも騒がずして。。。」


日本語の教師であるアイザック石松のアドバイスにありがとうございます。